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父が突然亡くなった後、「川原建設をどうするか。」という決断を迫られました。「今ここで、止めた方がいい。」という税理士からのアドバイスを振り切り「私はやりたい。」とはっきり言った母。“おふくろがそう決めたのなら、しゃあないな。”下請けもしていましたから、仕事がないわけではありませんでした。
“これも定め。”
勤めていた損保会社を退職し、岩手に帰る決心をしました。
その時、本当のしんどさはわからなかったですね。それから来る日も来る日も、土を掘りました。“これは俺のやる仕事じゃない〜!”逃げ出したくなったことも度々。自宅に戻ると、テレビを見る気力さえないくらい疲れ果て、夕飯を食べるか食べないかですぐ眠りにつく毎日。
柱の建て方を手伝った時には、“俺は大工になれない”とはっきり思いました。梁に上がれなかったですね、それどころか足場にさえ上がれなかった、怖くて。ましてや柱を担いでですからね。肉体労働の悲哀。大工とは命がけの職業。
それは、お客様に喜んでいただける家づくりを支える源であることを理解する経験であり、父が残した仕事は偉大であったと知る経験となりました。まるで子供のように「偉いなぁ・・・。」と感じた日々。
川原建設の代表として、必ず通らなければならない道でした。
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