浄法寺塗り、若き職人の肖像 その2
御山漆器を手にする。
その半年後ぐらいだったろうか。
小田島さんから「新作ができました」という連絡をもらった。
聞くところによると、
いわゆる御山漆器の伝統的なデザインを忠実に模した漆器だという。
そもそも浄法寺椀とは、天台寺の僧が自ら作った什器である御山漆器が原点で、
それが庶民へと浸透し、「浄法寺塗」が生まれたという。
小田島さんは現存する「御山漆器」から型を取って、
椀を作ったと、電話の向こうで言ったのだった。
天台寺の歴史は謎が多く、簡単にそのルーツを語ることはできないが、
寺伝によると奈良時代の神亀5年(728)に
奈良の高僧である行基が開山したとされている。
御山漆器が開山後のいつの時代に作られるようになったのかは定かではないが、
漆を利用するという文化は縄文から続いていると聞く。
そうしてみると、御山漆器も相当の深度を持っていると考えていいだろう。
御山漆器の復刻は、
みちのくの古い伝説が蘇るようなものだと、小田島さんの話を聞いて思った。
そこで、早速とばかりに平成の御山漆器を注文することにした。
その後、浄法寺にいったときに
滴生舎に立ち寄って、御山漆器を手にした。
塗りは、朱と黒と溜の三種があり、
僕は使うことで次第に透けてくるという溜を選んだ。
長い付き合いになるのだから、
変化を見つめる楽しみもあるだろうと思ったからだ。
形の特徴としては、普通の椀よりも大ぶりで、
高台がかなり高く、ずいぶん立派な雰囲気。
にもかかわらず、手に取ると羽のように軽い。
高台の裏には、136(いさむ)と名が記されていた。
小田島さんは少し照れながら
「やっと、自分で納得いけるものを作りましたよ」と笑って見せた。
そんとおきの自信に満ちた表情がとても印象的で、
そうか、職人はこうやってモノをひとつひとつを作りながら成長するのだなと、
自分までうれしく思ったものだった。
そして、それはまた小田島さんが
身を置く“職人”という世界を垣間見ることができた瞬間でもあった。
こうして日々使うことになった御山漆器。
その本当の魅力は、使うことで初めて理解できるものだった。
口当たりの良さは驚くほどで、しっとりとして、なめらかですべるよう。
椀に口をつけるたびにはっとするほどの心地よさだ。
そして塗りの美しさ。
国産漆最高峰の浄法寺漆を贅沢に使った姿は、深い気品を湛えている。
使い始めは美しい艶消しだったが、
小田島さんが教えてくれた通り、使っている内に次第に艶を帯びてきた。
最近は塗膜の奥にある木目がうっすらと見える。
表情が生まれてきたと、その木目を見る度にうれしく思う。
また手にしたときの感触が堪らない。
椀の曲線がすっと手のひらに馴染み、指に吸い付く。
手のひらが喜ぶと言っても過言ではないだろう。
まさに優れた手仕事を使う喜び。
素晴らしい道具は毎日の日々に新鮮な気持ちを与えてくれることと、
一つの椀が教えてくれたのである。
※2007年の記事です。