津軽塗 気高き精神を宿す手 その2

 岩谷さんと出会い、僕が欲したのは、津軽塗作品ではなく、岩谷さんの緩みなき仕事ぶりの秘密だった。その妥協なき精神がどのようにして生まれたのか、どうしても知りたかったのだ。この思いを抑えきれなくなった僕は2度目の訪問を岩谷さんにお願いした。初めての訪問からわずか数ヶ月後のことだった。
 訪問当日、再びやって来た邪魔者に岩谷さんは笑みでもって迎えてくれた。その日は、ちょうど、唐塗の盆の研ぎ仕事を行っていたという。
「研ぎ」は、もっとも津軽塗らしい仕事だ。唐塗に代表される津軽塗独自の模様は、塗と研ぎを繰り返すことによって生まれる。仕掛けヘラと呼ばれる独特のヘラを使って仕掛け漆を何段階にも分けて打ち、途中途中で下塗りを行い、さらに研ぎも繰り返す。こうした作業によって、独自の意匠が生まれるのである。
 岩谷さんは、この研ぎに執拗なまでにこだわる。砥石の種類によって仕掛け漆の表情が異なるために、砥石を方々から集め、吟味しながら適材適所で使い分ける。研ぎに使うのは砥石だけではない。最終的には指先でなでつけて研ぐこともあるという。
 しかし、岩谷さんが「研ぎ」にこだわるのは、思い描いた意匠を実現するために不可欠だから、ということに尽きるのではない。
岩谷さんが、「津軽塗の本質は、研ぎにある」と語る理由は、そこに過去の自分が存在しているからである。
たとえば、唐塗の場合、何段階にもわたって仕掛け漆を施していく。同じように下塗りと研ぎも繰り返すのだが、研ぐことで、下塗りに隠されていた仕掛け漆が模様となって顔を出す。その模様とは、つまり、過去の時間であり、過去の自分による仕事である。

「研ぎとは、過去に遡り、そのときの自分に対峙する瞬間です。砥石の下から出てきた模様を見るとすべてわかります。この部分、どこかで気が抜けていたとか、最終的な模様がイメージできていなかったとか。津軽塗は、過去の自分の仕事を問いただす行為でもあります」
 過去は基本的に忘れ去られるものだ。忘れ去るからこそ、新たな気持ちで前に進むこともできる。しかし、時間や物事とは決して一方通行ではない。たとえば百年前に降った雨が、大地の底をめぐり、長い年月をかけて地上に顔を出し、川となり、海に出て、やがて雲となって、再び雨粒として大地を濡らす。直線ではなく、弧を描きながら、それでも時間は前に進む。
もしかしたら、こうした円環こそが物事の本質を成すのではないだろうか。少なくとも岩谷さんにとっての時間とはそういうことなのだろう。未来に進みながら、過去に出会う。まるで禅問答のようなものかもしれないけれど、この行為を通じてしか生まれないもの。それが岩谷さんの作品に宿る凛とした世界観なのだと思う。

岩谷さんは、作業を続けながら、「今の自分はゼロの地点に立って
いる」と自らを語った。
若いころ、師と仰いだ職人から、「ひとつのことを1000日続ければ、誰もがある程度モノになる。しかし、本当の職人であろうとするならば、さらに10年続けてやっとゼロの地点に立つ。このゼロを突き破ってどれだけ前に進めるか。それが最も大切なこと」と、教えられたという。この言葉を噛みしめながら、長年やってき思うことは、素直に「ようやく」という感覚だそうだ。
取材の最後に「まだまだ挑戦は続きます」と笑う岩谷さんのありのままの表情をカメラに納めさせてもらった。揺るぎなき精神を宿すその表情は、作品と負けないほどの気高さに満ちていた。