会津若松と白虎隊

2013/03/15(金) 未分類
会津戦争でもっとも後生に語り継がれているのが「白虎隊」でありましょう。

白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊で、中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていたといいます。

会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、戦いをいどんだのですが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢。

白虎隊も各所で苦戦を強いられ、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた。

このとき、ここから眺めた(写真上*白虎隊が鶴が城を確認した丘)戦闘による市中火災の模様を目にし、鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれた。

いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、飯盛山で死を選択したのだという。

武士道の精神を後世に伝えるものとして、白虎隊は今でも生き続けています。

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