ゆい工房社長 中学時代1

2008/01/06(日) 未分類
私は盛岡市立 北陵中学校の出身です。

当時北陵中学校は、創立して2年か3年目だったと思います。住所が滝沢村にある学校なのに、滝沢村の生徒が入学できない学校ということで、新聞にも報道されたようです。

私はあいかわらず巣子から5キロメートルの道のりを自転車通学。冬に雪が降ると、今みたいに除雪されていない国道4号線の歩道を無理矢理押しながら通いましたね・・・。

そんな中学生生活で、クラブは卓球部。長男が中学生になった時に卓球部に入れと勧めたら、帰ってきた言葉が、「ちょーかっこ悪いー」。

中学校によって違うようだが、「なんにもできないやつが入るのが卓球部なんだぞー」という解説。そんな本人はぜんぜんうまくないくせに、ちゃっかり野球部に入部。

私は中学3年生の時に盛岡市の中体連で個人戦準優勝の成績。そのとき優勝したのが、現在の回転すし「清次郎」社長の田村清記くん。

盛岡青年会議所でひさしぶりにあったときに、家業はなにやってんの?と聞いたら「魚や」との答え。

町の露天商の「魚や」を連想した私は、苦労してんだなと勝手に思っていたら、岩手県でも一二の魚屋「田清」の若大将と聞いて驚いた。

寿司屋のビジネスも順調に店舗展開しているよう。

ますますのご活躍をお祈りいたします・・・。


つづく・・・。

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