ゆい工房社長 職人時代

2008/01/13(日) 未分類
平成5年の11月だったと思う。急遽、実家に帰って、家業を継ぐことになった。

当時の社名は有限会社川原建設。年商は1億そこそこ。社員は大工さんが3名のみ。仕事のほとんどは地元ハウスビルダーの下請けだった。

異業種から戻った私にはすべてが新鮮だった。損保では目に見える売り物がなかったが、工務店は住宅という売り物がある。材料から一つ一つ丁寧に家をつくり上げるというクリエイティブな仕事は私の性にもあう。

ただ、楽しいことばかりではない。ヤッケを着て、毎日基礎工事のための穴堀りは肉体的に堪える仕事だ。慣れるまでは家に帰ると食事もそこそこに7時頃には寝てた。

大工さんは尊敬すべき職業だ。二階の梁は地上から約6mの高さ。その上を柱を担いでスイスイ歩く。私は腰が抜けて途中でヘタリ込んだことがある。

なにより凄いのは、その技術。木の癖を見抜き、木組みを決める。立体的な構想力がないと墨付けはできない。自分で刻んだ構造が組み上がったときの爽快感は格別だ。

俺はやっぱり大工のせがれだなと思った・・・。

つづく

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