縁をつむぐ花巻人形 その1
年末になると決まってやって来るおめでたいお客がいる。郵便屋さんのバイクに乗り、小さな箱に入ってくる花巻人形だ。
花巻から僕の暮らす雫石まで約50kmほどだろうか。迷うことなく、いつもやって来てくれる。送り主は、平賀恵美子さん。花巻人形の唯一の作り手だ。
恵美子さんにお会いしたのは4年前のことだ。『手のひらの仕事』(岩手日報社)
という単行本を出版するにあたり、北東北の手仕事の職人を訪ねて歩いていたときに、恵美子にも取材のお願いをした。恵美子さんはもう忘れていらっしゃるかもしれないが、実は一度、恵美子さんに取材を断られた。その理由が今となっては定かではないのだが、もしかしたら、電話で用件のみを伝えた僕の言葉が失礼だったかもしれない。
普通ならここで引き下がって、ほかを当たってみることも考えただろう。しかし、当時も花巻人形の作り手は、平賀恵美子さんただ一人だった。聞くところによると、かつての岩手では、どの家にも花巻人形があり、ずいぶん愛されていた存在だったという。その花巻人形が今、どのように作られているか、何とかして見てみたい。そんな思いでいてもたってもいられず、花巻に向かったのは、雪がちょうど消えた3月中旬の頃だった。
メモに記した住所を頼りに恵美子さんの工房に着くと、僕は改めて取材のお願いをした。結果はまったくの予想外で何の問題もなく快諾の返事をいただいた。やはり、電話で簡単に済ませようしたことがいけなかったのだ。
こうして花巻人形の制作現場を取材させていただいたのだが、今、この取材を思い起こすと僕の頭の中に鮮やかな色彩が広がる。取材時、恵美子さんが行っていた作業は、ちょうど絵付けで、胡粉塗を終えた真白な人形が色彩をまとうところだった。
花巻人形のはじまりは、江戸は天保の頃。京の伏見人形や仙台の堤人形の流れを組みつつ、この花巻の地で花開いた。三月、五月の節句ものはもちろんのことだが、伝説、神話、土地の暮らしぶりまで、人形師の想像力はとどまることがなく、実にさまざまなモチーフで人形が作られたという。
恵美子さんの絵筆の先にあるのは、こうした人形師たちの息吹そのものだと思うと、その鮮やかさがますます胸に迫ってくるように思えた。
そんな思いを抱きながら無事に取材が終わり、憧れだった花巻人形が『手のひらの仕事』に加わった。
そして、花巻人形が送られてくるようになった。送られてくるのは必ず年末。箱を開けると、新しく迎える干支の人形がひょっこり顔を出す。酉も犬も猿もどこかユーモラスで、いかにも福を呼んでくれそうな気配に満ちている。到着すると机の上に飾っておくのだが、
最初は、色彩が鮮やかなこともあり、なんとなく違和感がある。しかし、それも数日間のことで、それ以降はしっかり空間の中で居場所を得て、ずっと前から、そこにいるかのような顔つきで座っている。この可愛らしい図々しさに思わず深い愛着を覚えるのは、きっと僕だけではないだろう。