縁をつむぐ花巻人形 その2
僕はこうして花巻人形との縁を毎年楽しませてもらっているわけだが、縁というものの不思議さ一番感じているのは平賀恵美子さん自身かもしれない。
実は一度、花巻人形は途絶えている。1959年、花巻人形の最後の人形師だった照井トシさんが他界したことにより、数百年の歴史にピリオドが打たれたのである。
照井トシさんが逝去した日より15年後。いつしか「幻の土人形」と呼ばれるようになった花巻人形を復活させたのが、恵美子さんの夫である平賀章一さんとその父孫左衛門さんだった。章一さんらは、照井さんが遺した100体以上にも及ぶ、人形の型を丹念に複製し、復元に成功したのである。
しかし、花巻人形の幸福は長く続かなかった。1996年に孫左衛門さんが、その3年後には章一さんまでも亡くなってしまうのである。
もしかすると、このとき花巻人形は再び途絶えていたかもしれない。しかし、恵美子さんがそうさせなかった。これまで章一さんの仕事を手伝ってきた経験を頼りに絵筆を握ったのである。
もちろん、章一さんと同じレベルで描けるわけではなかった。しかし、「花巻人形をもう二度と幻と呼ばせたくはない」と必死で絵付けを行ったという。
そして今、恵美子さんは、花巻人形の伝統を受け継ぐたった一人の人形師としての日々を送っている。
縁というのは、まったく不思議なものだ。僕たちに見えるのは、どこまでも長いひもの先だけなのだろう。そのひもがどこに向かい、何につながっているのか。見当がつくわけもないのだが、勇気を出して、おそるおそる手繰り寄せてみる。すると、ひもの先がこれまでの自分では、まったく予期せぬものとつながっていることを知る。縁とは、このようなことなのだろうか。
そして、こうした縁を大切にすることが、たぶん、人生に幸福をもたらすということなのだろう。
恵美子さんにとっての花巻人形作り。それは、きっと縁をつむぐことだったのだろう。
今年、恵美子さんから送られてきた干支人形は、真っ赤なトウガラシに乗るいたずらそうな顔をした真っ黒なネズミだった。
年を追うごとに、恵美子さんが作る花巻人形は自由な気配を増しているように感じる。
そしては今は、恵美子さんと花巻人形を結ぶ縁は運命に変わったのかもしれないなどと勝手に想像している。